「屋上のルール Second」
 
 時期は秋から冬に移り変わるころ。周りは進路に向け、就職にしろ進学にしろ、忙しくひた走っているなかで。
 俺はそんな平凡から『ずれ』ていた。
 友達がいないわけでもなければいじめられているわけでもない。
 何かに満足していないわけでも、何か不満があるわけでもない。
 だけど、心の何処かで、平凡すぎる日常を嫌う自分がいた。
 どうでもいい。こんなクソッタレな毎日。ありふれた平凡なんかドブ川に捨ててやる。
 そんな思いを抱いていた俺に、兄はひとつの希望をくれた。
 屋上への鍵という、フィクションでしか存在し得ない「異常」。
 結果、俺は日常的にその「異常」へと脚を踏み込むことになった。
 
 ため息をつきながら見上げた空は、苛立つくらいに澄んでいた。
 快晴。どこまでも綺麗な蒼空。雲ひとつない洗濯日和。ため息が出るほどにいい天気だ。
「なにやってんのさ?」
 屋上、その上に立つ給水塔の上で寝転ぶ俺に、今しがた入ってきたばかりの後輩が声をかける。
 鍵を持っている俺と後輩の二人に、顔も合わせたことのないどこぞの三人を加えた、全部で五人しか入れない空間。
 教員ですらも近寄らないそこで、俺達はよくサボっている。
「空を見てる」
「ふーん」
 まるで興味がないように、後輩が鈍い金属音を立てながら給水塔の上に登ってくる。
 後輩の顔が見えたかと思うと、ビニール袋から紙袋を取り出し、俺の腹に置いた。
 なんだこれ、妙に暖かいぞ。
「なんだこれ」
「ホカホカだよ」
 会話になっていない。まぁ、いつものことではある。起き上がるのが面倒だった俺は、右手でそれを掴み、ついでに体を起こす。
 
「美味しいでしょ? クリーム餡!」
 幸せそうに今川焼きを頬張りながら、同意を求めてくる。
「悪くないな。たい焼きのほうが好きだが」
「まーたそういうこという! そんな事言う子にはチョコレート餡あげません!」
 ぼっしゅーとー、と言いながら、膝の上に置いていた紙袋を取り上げる少女。自分が二個食べたかっただけじゃないのか、とは言わない。
 実際たい焼きのほうが俺は好きだ。もちろん、今川焼きが嫌いというわけではないが。いや、そういう問題じゃない。
「これ、どこで買ってきたんだ?」
 当然の疑問を投げる。もちろんだが、こんなハイカラなものはうちの学校の購買にあるわけがない。
「教えてあげてもいいけど、いくら出す?」
「んじゃいいわ」
 全く興味がなかったので話題を切った。なんてやつだ、なんてボヤキが聞こえた気がしたけど、空耳だろう。たぶん。
 
 掴んでいた早めの昼飯を頬張りながら、ぼーっと空を見上げた。
 時折グラウンドから聞こえる金属音と歓声が、今日のBGMだ。
「あれって、野球?」
 あぁ、と声を漏らしながら、グラウンドの方を見る。ちょうど、三塁に向かって知ってる誰かが走っていくところだった。
 男子たちの歓声が聞こえる。相当盛り上がっているようだ。
「俺のクラスの体育だな」
「ふーん」
 興味がなさそうに相槌を打ちながら、手を紙袋に突っ込んでいる。
「太るぞ?」
 
 ゴツン!
 
「そういうことは、女の子に言っちゃいけません!」
 ぷりぷりと怒りながら、何も掴まずに紙袋に突っ込んだ手を戻した。
 後輩よ、何も先輩を殴ることはないんじゃないか?
 拳を落とされた頭をさすりつつ、溜息をつく。
「あ、ごめん、痛かった?」
 申し訳なさそうに上目遣いで顔を覗きこんでくる。
 別にそこまで痛くはないが――
「詫びにおかわりをくれ」
 紙袋を指さした。
 一瞬きょとんとした表情をした彼女は、けらけらと笑いながら紙袋を開く。
「結局食べるんじゃん」
 俺は、名も知らない後輩がこんな風に笑うのが、割りと嫌いではない。
 
「進路とかさー」
 退屈な野球観戦をしていると、少女が唐突に話し始めた。
 別に気不味くなったわけではないだろう。いつもこんな感じだ。お互いに、無言でいることもある。でもそれはどこか、何故だか心地よかった。
「ぶっちゃけ、そんな先のこと、今言われても、って感じなんだよね」
 チョコレート餡を食べ終え、勝手に俺のストックコーヒーを開けながら続ける。
 少し飲んでため息をつくと、彼女はさらに吐き出した。
「私まだ1年生だよ? そんなの考えたくないよ。そもそも、高校受験だって、大変だったのにさぁ」
「まぁ、な」
 色々と思うところがあるのだろう。俺も去年はそうだった。なんで受験が終わったばかりなのに、また先のことを考えなきゃならないのか。
 ずっとこうして時間に追われていくような気がして、なんとなく嫌な気分になった。
「進路のことでなんか言われたのか?」
「実は明日、三者面談なんだー。ちょーやだなぁー……」
 語尾を下げ、ため息までつきながら、がっくりと肩を落とす。
 この時期の面談といえば、担任だけではなく親もいる。年頃の女子高生としては、親がでしゃばることを嫌うのだろう。
 そりゃそうだ。俺だって嫌だった。
「ねー、先輩?」
「ん?」
 缶コーヒーを飲みながら、後輩の顔を見る。
 少女は、真面目な話をしようとしていた。それが、なんとなくわかった。
 野球をしていたグラウンドでは、既に片付けが始まっている。
「あのさ、私――」
 チャイムが後輩の声に合わせて鳴り始める。
 だから。
 俺は、何も聞かないことにした。
「――その、どう、思う、かな?」
 こんな「異常」を求めているような奴が、「先輩」足りえるわけがない。
 気怠く陰鬱でくだらない繰り返すばかりの腐った日常が嫌いで、授業をサボっているだけの俺が、偉そうに何かを言えるわけがないじゃないか。
 逃げてばかりの人間が、偉そうに何かを語れるものか。それをするのは俺の役目じゃない。
 もし、俺がそれをしたなら、この後輩も、意味もなく逃げるだけの人生を、送ることになるかもしれない。
 それは、嫌だ。
 だから――
「悪い、チャイムの音で聞こえなかった」
 また、逃げることにした。
「次、授業出るわ」
 答えを聞かずに、給水塔のはしごを降りた。
 なぜだか後輩の顔は、見れなかった。
 
 
 
「私、ふっかーつ!」
 翌々日。
 俺より早く給水塔の上に座っていた少女は、勝ち誇った顔で紙袋を掲げていた。
「また今川焼きかよ……」
 ため息をつきつつも、金属製のはしごを登る。心地よい安心感がある音が屋上に響いた。
「とーころが、今回は、違うのでーす!」
 じゃじゃーん、と口で効果音を流す後輩を眺めつつ、給水塔の指定席に座る。
 紙袋をごそごそと漁り、まるで貴重なものでも見せびらかすようにそれを出した。
「……なんだこれ」
「どっからどう見てもたい焼きじゃん?」
 なるほど。全く理解できない。
 どこの世界に、顔からしっぽまで串のようにウィンナーが刺さっているたい焼きがあるんだ?
「なんとお好み焼き味ですよ、旦那!」
 そいつは、そうだな。なんというか、控えめに言って。
 とても、不味そうだ。
「さぁ、さぁ旦那! ひと思いにがぶっと行っちゃってくだせぇ!」
 不気味なくらいにこやかな笑みで、さぁさぁ、と言いながら口にねじ込もうとしてくる。
 頭を軽くはたいてから、手からたい焼きのような形状しがたい何かを奪った。
「いったー! もう、叩くことないじゃん。このDV男」
「なーにがDVだたい焼きねじ込み女」
「誰がたい焼きねじ込み女よ!」
 頬を膨らませる後輩を一瞥し、手元のブツを眺める。
 まず匂いからしてすごいぞこれ。完全にソースの匂いしかしない。たい焼きってあんこの匂いがするものだよな……?
 生地にはところどころ緑色の部分があって、赤い何かも混ざっている。もしかしてこれ、キャベツと紅しょうがか?
 なんて無茶なことを……!
「なぁ、まさかとは思うが、あんこなんて入ってない、よな?」
「さすがにそれ入ってたら、私も買わないよ」
 紙袋をごそごそと漁りながら、苦笑いをする。
 まぁ、あんこが入っていないならいいだろう。お好み焼きをたい焼き型にした何かだと思えば。
 とりあえず、一口。
「……ふむ」
 ウィンナーが正直邪魔臭いが、味自体は悪くない。
 お好み焼き味の名の通り、具もちゃんと中に入っているようで、キャベツ、肉――これは豚肉だな――の感触に加え、ほんのり和風ソースの味がした。
 なるほど。これは案外悪くないぞ。
「意外と美味しいな、これ」
「わ! 先輩が褒めた!」
 そこまで驚くなよ、とは思いつつも、あっという間にたい焼きを平らげてしまった。
 勿体無い、という声が聞こえた気がしたが、無視する。
 
 一息つきながら、コーヒーを二人で飲む。今日のBGMは選挙カーのうるさい演説だ。大人はよくこんなもんを聞いてられるな。
「んで、昨日の面談は、どうだったんだ?」
 なんとなく話題を振ってみる。
 後輩は、唸りながら、普通のたい焼きを頬張りつつ答えた。普通のたい焼きも買ってたのかよ。
「何とかなったよ」
「そうか」
 表情、声の調子からしてわかっていたことだ。
 昨日までの憂鬱そうな表情が消えていた。それどころか、どこか楽しそうですらある。
「さ、先輩!」
 ストックコーヒーをいつも通りに勝手に開ける後輩と――
「今日も元気にサボろー!」
 今日も、明日も。また――
「元気にさぼろー、おー」
「やる気が感じられないぞ、先輩!」
「やる気ないからサボるんだろうが」
 こんな風に、「異常」に過ごす。