―――2月。
 12月の次に、大嫌いな季節がやってきた。
 
 嫌いな理由?そんなの簡単さ。
 俺の大嫌いなイベント、バレンタインがある。
 ただそれだけだ。これ以上の理由なんてないし、必要もない。
 
 たとえば、高校生ぐらいまでの男子なら、男子校でない限り貰えることを期待するだろう。
 会社員にでもなれば、部下からたくさん貰えるだろうし、彼女がいれば、必ず1つは貰えるだろう。
 
 だが。しかし。
 俺は、バレンタインが嫌いだ!
 それは俺がもう24にもなって、ニートの引きこもりで。
 たまに外にコンビニに行くと店員の目が冷ややかだとか、
 親の金とたまに届く食料で辛うじて生活してるくせに、自分は1日中ぼーっとしてるだけだとか、
「彼女いない暦=童貞暦=年齢」だとか、
 あとブサメンだとか、バレンタインにチョコをお袋以外から貰ったことがないからとか、
 そんな理由じゃない。断じて違う。違うと言ってるだろコノヤロウ!
 
 バレンタインでチョコを貰えなかったら、悪いか!?
 バレンタインでチョコが貰えなかったら、後ろ指をさされて笑われなきゃいけないのか!!?
 バレンタインに一人でコンビニに行ったら、冷ややかな目で見られなきゃいけないのか!!!??
 
 ・・・まぁ、俺はコンビニ以外で、外になんていかないけど―――それでも。
 やっぱりこの季節は大嫌いだ。
 
 24といえば社会人として立派に働いて、彼女とかいて、同僚とか友達とかいて。
 この俺、宮瀬 涼(みやせ りょう)だって、その立派な社会人として大変でも楽しく生きている。はずだった。
 うん、はず。だった。
 現在好評ニート中の俺が。仕事をバリバリこなしたり、彼女とデートしたり、友達からはリア中だとか言われたり。
 そんな存在しない妄想とともに、俺はこのくだらない世界で辛うじて生きている。
 
 
 
 ―――こんなはずじゃなかった。
 なんで俺はひきこもっているんだろう。
 なんで俺は1日中、パソコンの前に張り付いているんだろう。
 有名ではないけれど、東京の大学に進学して。
 そしてそこを無事に卒業して。さらに大きくはないけれど、実家近くのとある会社の内定を頂いて。
 本当だったら今頃は、妄想通りの生活をしている―――はずだった。
 
 内定取り消し。一瞬、その言葉を聞いて、夢を見ているのかと思った。
 卒業日前日。よりによってそんな日に、だ。
「申し訳ありませんが、今回の採用内定の件は取り消しとさせていただきます」
 そんな事務的な電話の声が、今でも俺の耳に焼き付いている。
 
 それから、俺の人生はまっさかさまに墜ちていった。
 正社員、派遣、バイト・・・そのすべての面接に落とされて。
 そして俺は、いつしかやる気を失った。
 酒とネットに溺れる生活。
 くだらない繰り返しの日常。
 生きるためだけに何かを食べて、寝て。顔の見えない誰かとだべる。
 それだけの日常。
 
 捨てないからゴミも溜まり、洗わないから洗濯物も溜まって、しばらく風呂にも入っていない。気がする。
 今日が何日だったか・・・それすら曖昧だ。
 辛うじて2月だとわかったのは―――今いるコンビニに、バレンタインコーナーがあるからだ。
 ――――――忌々しい。
 
 女店員の立つレジに、弁当と数日分のカップめん、安い酒が入ったかごを置く。
 無愛想な店員は、無言でレジ打ちをしている。
 どうせ、心の中では俺のことを笑ってるんだろ?
 そうさ―――俺は社会不適合者なんだから。
 笑えばいい。どうせお前だって―――後ろ指をさすようなやつと変わらない。
「合計1964円になります」
 無言で折れ曲がった1000円札を、2枚置いた。
「2千円のお預かりです」
 早く終わらせて、また掲示板に書き込みをしよう。
 そう、またくだらない日常に戻るのが、今の俺の使命なのだから。
 
「あ・・・弁当は温めますか?」
 今更かよ!と思って、顔を上げる。自然と目が合い―――。
 だけど、女店員の顔を見て、すぐに俺はうなずいていた。
 か、かわいいじゃないか。一言で言うなら、暗い影を持っている美しさ。
 身長は高校生ぐらいだろうか?でも時間的にきっと彼女は大学生ぐらい、なのだろう。
 一言でたとえるなら、クラスに必ず一人はいる文学少女!きっと、眼鏡が似合うに違いない!!
 化粧もしていないのか、それとも薄いのか。逆にそれが美しさを醸し出している。
 きれいな背中まである黒髪は、まるで彼女が現実に迷い込んだ2次元の美少女のような強い存在感を持っている。
 
 でも、腹の中では何を考えているのかわからない。
 どうせ、お前だって、その辺を歩いている連中とかわらないんだろ?
 俺のことを馬鹿にして、自分たちが少し現実を楽しめるからって、いい気になってんだろ?
 別に・・・いいけどさ。もう、諦めてるから。
 
「・・・」
「・・・」
 お互いが無言のまま、時間が過ぎていく。
 無機質なファンの音が止み、電子レンジが終了を知らせる鳴き声をあげた。
「・・・どうぞ」
 差し出された袋を掴んだとき、2次元少女(俺はこの店員をこう名づけることにした)がいきなり言った。
「今日・・・2月13日ですね」
「あ・・・え・・・あ・・・」
 声が、思うように出ない!いや、落ち着けよ、俺!!
 人と話すなんて久しぶり。目の前に生きた人間がいることも珍しい。
 毎日、画面の向こうの誰かとやり取りはしてる。あくまで文字で。顔なんて知らない人と。
 会話スキルなんて忘れた。どうしよう!!
 あぁ、だめだ!何を話せばいいのかわからない!!そもそも声が出ない!!!舌もまわらない!!!!
「・・・ご飯、ちゃんとしたもの食べた方がいいですよ」
「あ・・・」
 やばい!頭が真っ白になっていく!!
 話さなきゃ!何か、話さなきゃ!!でも、何も浮かばない!!!どうしよう・・・!!
 ヤバい!恥ずかしくなってきた!だぁあああ!もうだめだ!!
「あ・・・ちょっと!」
 話すことができない。それが恥ずかしくて。逃げるようにコンビニを飛び出した。
 
 そして、お釣りを受け取るのを忘れていたことに気づいたのは、家についてからだった。
 
 ・・・散々な日だった。
 2月13日―――きっと俺は、この日を一生忘れない。
 だって―――。
 
 ポストに「それ」が入っているのに気づいたのはコンビニ弁当を食ってから、さぁ寝ようと思ったときのことだ。
 俺がコンビニに行ってる間に不在表が入っていることがあるから、ポストだけはきれいにしている。
 ―――といっても、中身を玄関にぶん投げてるだけだ。捨てるのなんてめんどくさい。
 
 閑話休題、俺がそれを見つけることを知っているかのように「それ」は堂々と入っていた。
 まぁ、普通に考えたらプレゼントと受け取るべきなんだろう。
 長方形の四角いなにか。ラッピングは特にされていない。茶色い箱に入ってるだけの何か。
 おもむろに箱を開けて、思わず俺は驚いた。
 だって、これって・・・
「・・・チョコ、レート?」
 きれいな飛び出たハート型。
 つやがあり、チョコレート特有の色とチョコレートに似合わない刺激臭―――。
 これは・・・本当にチョコレートなんだろうか?
 
 それより、ポストに何かを入れていくような奥ゆかしい女の子に心当たりなんてない。
 そもそも、チョコレートをくれるような知り合いなんて―――あぁ、お袋は確かにくれるかもしれないけど―――心当たりはない。
 これって・・・毒でも入っているんだろうか?だからこんな刺激臭が・・・?
 ・・・オーケー、だったらこの下らない現実の檻から逃げることができるかもしれない。
 毒で死ねたら。楽になれたら。それは、今の目標を失った生活よりも幸せなことだろう。
 このチョコレートは、きっと毒が入っているに違いない。
 もしかしたら野郎が作ったチョコレートかもしれない。
 
 ―――構わないさ。
 俺の中では、2次元のかわいい美少女が作ってくれたチョコレートだ。
 そう、思い込めばいい。きっとこれは、2次元―――それか、天国に行ける「片道切符」なんだ。
「―――食べよう」
 悩んだ挙句、選んだ結論はそれしかなかった。
 
 小さなハートを手に取る。
 手に持って初めて気付いたが、かなり重い。ずっしりとくる重さだ。
 これは、本当にチョコレートか・・・?
 
 顔に近づけば近づくほど、匂いがきつくなる。
 というか、臭いとかそういうレベルじゃなくて、鼻がだんだん麻痺してきたんだけど・・・。
 ヤバい。視界が少しずつぼやけてきた。
 俺は、「これ」を食べると決めたのか・・・?
 
 落ち着け。
 これは天国への切符なんだ!
 がんばれ、俺!覚悟を決めろ!!
 
 そして俺は―――。
 ―――それを食べた。
 
 
 
「ん・・・う・・・」
 頭が痛む。
 ポストの隙間から漏れる光で、今が朝だと気付く。
 ―――そうか、俺は寝ていたのか。
 ・・・いや待て。なんで俺は、玄関で寝てるんだ?
「うぅ・・・」
 まだ軽く痛む頭を抑えながらゆっくりと立ち上がり、現状を理解しようとする。
 そうだ。俺はチョコレート・・・らしきものを食べたんだ。
 ・・・しかし。妙に胸元が狭いな。
「・・・え?」
 待て待て。
 俺は、「今、何を考えた」?「胸元が狭い」・・・だと!?
 ゆっくり視線を下げる。
「・・・うわぁお」
 なにこのボイン。誰の?え?俺の?え!?
 いや、まず俺の頭の処理速度が付いていってない。
 頭が真っ白。いや、そんなレベルじゃない。
「ちょっと」
 かわいい声。いや待て。なんで俺の部屋でそんな声が?
 声のした方に顔を向ける。
「・・・へ!?」
 床に立っている、知らない少女と目が合った。
 
 美少女。まず第一印象はそれだ。だけどその美しさはなんというか―――怖さを兼ね備えている。
 日本人とは思えないほどの肌の白さと、日本人のような顔立ち。ぱっちりとした目に細い眉毛。
 だけどどの世界にもこんな人種はいない。なぜなら彼女の短い髪と人間にはあり得ない縦に開いた瞳は、恐ろしいくらいに濁った赤色だったのだから。
 マントのような長い布を背中にまとい、黒と赤のドレスのような服を着ている。
 10歳くらいだろうか?背丈が低いその少女は、だがしかし、なぜか俺の部屋で仁王立ちして、堂々と俺に指を指している。
「起きるのが遅いわよ!」
 いきなり怒られた。うん、なんで?ってか、誰?
「いや・・・ってか、えっと・・・」
 一度にツッコミどころが多すぎて、どこからツッコんでいいのかわからない。
 そう―――これはまだ、今日、2月14日の災難の序曲にしか過ぎなかった。
 
 
 
「とにかく、あんた!」
「は、はい!」
 自分よりきっと年齢が下に違いない少女に思わず敬礼する。
「この部屋はなによ!まったく・・・」
 なんで俺はどこぞの不審者―――いや、不審幼女?―――に説教されてるんだろう。
 
「というか、どうやって入ったんだ・・・?」
 一番の疑問。
 玄関には鍵がちゃんとかかっているし、鍵は俺しか持ってないはずだし・・・。
 そもそも、これはどういうことだ?知らない少女がなんでこの部屋にいる?
 というか・・・!
 
「うわああああああああぁぁぁぁぁ!!!」
「きゃあああぁぁぁ!!?」
 そうだ!!何で俺の胸が・・・なんかでかくなってるんだ!!?
「なんなのよいきなりっ!!!」
 びっくりしたのか、怒鳴られたけどそれどころじゃない!!
 あわててズボンの中を見る。
「・・・うそぉ!?」
 ない!!俺の黒くてふと・・・くはないけどおっ・・・きくもないけど・・・。
 ムスコがない!!いや、なんで!!?
「あんた、あれを食べたでしょ?」
「あれ・・・?」
 ―――もしかして、俺のムス・・・。
「ハート型のあれは私たちの世界で作った、性転換の秘薬」
 俺の考えを呼んだかのように少女は言い放った。
 よかった、あのチョコレートのことを言ってたのか。
 
 ・・・いや、待て待て。良くないだろ、俺。
「男は理想の女に。女は理想の男にそれぞれ変身するわ」
 は?何を言ってる?
「効果は死ぬまで。永遠に解けることはないわ。くすくす」
 ・・・うそぉ。
 だが俺の気持ちとは裏腹に、少女はくすくすと笑っていた。
 
「・・・何を言ってるんだ?」
 思わず口にしていた。
「あんたの耳は飾り?」
 あきれ気味にため息を付かれるけど―――それよりやっぱりおかしい。
「あー・・・つまり俺は女になったのか?」
「・・・全身見たら?」
 ため息をつきながらも彼女は、怪しげに「何か」を空に描き出した。
 すると。
 
 どごん!
 
「うお!?」
 え?なんで?
 足元から大きな鏡が生えてくる!
 凄いな・・・えっと―――手品か?
 どういう仕組みなんだ!?
「これは・・・どうなってるんだ!?」
 思ったことを口にしていた。
「『魔法』よ」
 簡単に言ってのけるじゃないか。
 ―――って言っても、それ以外に説明のしようがないか。
 いきなり足元から出てくる鏡は、確実に俺の中の現実をぶち壊したけど。
 だけど、それを俺はなんとなく認めていた。
 だって、「魔法」だぜ?そんなファンタジックなものも、まぁ、あってもいいじゃん。
「それで自分の姿を確認しなさい」
 天井の高さまで伸びた鏡の裏から、少女が言った。
 しかし・・・なんというか―――。
「―――かわいいな」
「うわ・・・気持ちわるっ・・・」
 嫌悪感を示すような声が聞こえた気がするが気にしない。
 だって、鏡に映るその女の子―――まぁ俺なんだけど―――は、とても美しいのだ!
 腰まで伸びるきれいな白い髪。やさしげな目に、鮮やかな赤い目。
 そして細い輪郭。魅力的な唇に、細い眉毛。
 胸元はこれでもか、と着ているワイシャツを引っ張っている。
 身長はたぶん、「男のとき」の俺と変わらない。でも、やっぱり―――。
「美しい・・・」
「おえぇ・・・」
 鏡の裏から魔女の吐く声が聞こえたが、とりあえず気にしないことにした。
 
 
 
 とにかく俺の部屋にいるこの少女は、魔女で。なぜか俺は女になって。ポストに入ってたあれはチョコレートじゃなくて変な薬で―――。
「だああああぁぁぁ!わけわからん!!」
 なんで俺がこんな目にあっているんだ!!
「なぁ!説明してくれっ!」
 俺の目の前から鏡がいきなり消えたかと思うと、少女はなぜかにやりと笑った。
 
「私はリティ。魔法警邏隊に所属している魔女よ」
 彼女は、別の世界―――魔法の存在する世界から来た捜査官らしい。
 
 ―――魔法警邏隊。
 それは彼女曰く、「魔法に関する事件の解決、処理もしくは防止のために働く機関」のことらしい。
 早い話が、警察の魔女バージョンか。とにかく、リティはその機関の人間らしい。
 
 そして、俺が食べたのは、性転換の秘薬の入ったチョコレート。
 リティの世界で、ある場所から盗まれたものらしい。
 それを盗んだ盗賊を追って、この世界に来たそうだ。
 まぁ、その盗品は俺が食べてしまったんだが・・・。
 
「―――とにかく、そういうわけだから、あんたを治さなくちゃね」
 ん?
「治せないとか言ってなかった?」
「解除方法がないだけよ」
 そう言いながら、どこから出したのか、まるでアルバムのような大きな本を広げた。
「1にはマイナス1をかけるとマイナス1になる」
 そう言いながら、ぱらぱらと本を捲っていく。
「そのマイナス1にマイナス1をかけると―――」
「1に戻る、ってわけか」
 オーケー、なんとなくわかった。
 つまり、もう1度その秘薬を飲めば治るのか。
 
 
 
「だが、断る!」
 俺の一言に少女は本を捲る手を止めた。
「―――なんですって?」
「このままでいい」
 言い切る。
 男に戻ったところで、俺はブサメンだし、この繰り返しの日常が変わるわけじゃない。
 女物の服はないけど、別に外に出るわけでもないし。
 困ることは何もないし、戻っても何もないのなら、やっぱり美しい姿でありたいじゃないか。
「だめよ」
 そう言いながら、彼女は本をテーブルの上に置く。
「魔術で無理やり体を変化させると、必ず弊害が起こる」
 そう言って近づいてくる。
「何を言って―――」
「ここね」
 魔女はいきなり、俺のみぞおちの少し上を指で押した。
「うぐっ!!?」
 痛い!体に電撃が走ったかのような衝撃。
「ぐっ!?」
 何かが勢いよく戻ってくる。
 まず―――吐く!
「うっ・・・かはっ!!」
 だけど吐いたのは汚物ではなく血だった。
「分かった?男の体を無理やり魔術で女の体に変えたものだから、弊害が起きたのよ」
 床に付いた俺の血を指でなぞりながら、だるそうに彼女は言った。
「少し―――急ぐ必要があるわね」
 痛いのは嫌いだ。だけど、それで死ねるのなら―――。
「苦痛だけが永遠に続くのが好きなら、このままにしておくけど?」
「どういう・・・ことだ?」
 笑いながら魔女は答えた。
「体はぼろぼろになっても、あなたは生き続ける。くすくす。天命が尽きるまでね」
 つまり、そう楽に死ねるわけじゃない、ってことか―――。
「なら、治してくれ」
 情けない話だが、俺はすぐ意見を変えた。
 そりゃそうだ。長い苦痛なんて誰だって嫌に決まってる。
「くすくす。安心しなさい、私の仕事は魔法の関わる事件の処理よ」
 魔女は、不思議といつまでも笑っていた。
 くすくすと声が部屋に響く。
 それが、なぜかいやな予感がしていたけれど、俺は気のせいだと思い込んだ。
 
 
 
「必要なのはネムリヤモリの尻尾数本に棘蛙の血が5匹分、鉄狼の毛が少量にトリスタンローズの棘、それから―――」
 彼女はぱたんと本を閉じた。
「チョコレートがたくさん」
「たくさん?」
 まぁ、チョコレートは確かに使うんだろうけど。実際に食べたし。
 でもたくさんって・・・かなり曖昧なことを言う。
「そうね、チョコレートって言ったら、向こうの世界だと貴重品なのよ」
 そう言いながら、チロルチョコぐらいのサイズの小さな包みを差し出してきた。
「これが向こうでは1ヶ月の労働と同じだけの価値があるわ」
「1ヶ月!?」
 チョコレート高すぎだろ!ってか、賃金が安すぎるのか?
「これぐらいの量なら、子供の小遣いでも買えるぞ!」
 俺の言葉に驚いたのか、今度はリティが食いついてくる。
「そんなにこっちのお小遣いは高いの!!?」
「逆だよ・・・」
 そういいながら電卓を取り出す。
「こっちでそのサイズのチョコを月給全部使って買うとしたら―――」
 ―――1個あたり20円で、時給780円を基準にして1日8時間働いて、週2回の休みがあるとしたら。
 いや、これでも月給12万ちょいだから少ないか。
「最低でも6000個以上は買えるぞ」
「ろくせん!!」
 驚いたのか、魔女はチョコレートを落とした。
 それを拾ってやる。
「とりあえず、凝縮する必要があるから―――」
「まぁ、あるだけ買ってきてやるよ」
 一瞬、少女が目を光らせたような気がしたが、気にしないことにする。
 
 ―――話し合った結果、俺がチョコを買ってくる間に、リティが必要な他のものを回収。
 家についてからそれを混ぜたりなんなりして、完成させるということになった。
 とりあえず俺はまだ着ていなかったTシャツとGジャン、それにGパンを履いてスーパーやデパートに向かった。
 ところが―――。
 
 
 
「売り切れ」
「在庫がありません」
「品切れ」
 ―――そう、今日はバレンタイン。
 そりゃチョコも売り切れるわな・・・。
 
「遅かったじゃない」
「な・・・!」
 部屋に戻った俺を出迎えたのは、俺の部屋じゃない部屋だった。
「邪魔なゴミは魔法で消したわ」
 そういいながら、魔女はどこから出したのか、ハンモックで寝転がっている。
「で、チョコレートは?」
「ごめん、どこも売り切れて―――」
「はぁ!!?」
 がばっと起き上がり、俺にいきなり掴みかかる!
「ちょっとふざけんじゃないわよ!!こっちは本当だったら休暇中なのよ!!?」
 まるで鬼の形相。いや、鬼だ!
 魔女じゃなくて鬼なんだ!!
「お、おちつ・・・」
「落ち着いてられるか!!」
 
 どゴン!!
 
「ぶふっ!?」
 痛ぇ・・・。
 腹を盛大に殴られた。
「くっ・・・」
「なんならじっくりと地獄の業火を味合わせてあげてもいいわよ?」
 ぼわっ、という音と共に、魔女の手から握りこぶし大の炎が生まれる。
 こいつ・・・目がマジだぜ・・・!
「すみません1件だけ心当たりがありますごめんなさい」
 急いで土下座する。
「ふん・・・」
 まるで蔑んでいるかのような目を浴びながら、こいつが警察をやっている世界は終わってる、と心の底で思った。
 
 
 
「あと見てないのは―――」
 あの2次元少女のコンビニ。
 だけどあそこは―――できれば行きたくない。
「なら早く行きなさいよ」
 またハンモックに寝転がりながら、だるそうな声で攻め立てる。
「恥ずかしいんだ」
 ただ話しかけられただけ。
 なのに、俺はどもって。うまく舌が回らなくて―――。
 それだけで恥ずかしかった。
「あんたがどんな生活送ってたか、とかしらないけどさ」
 そう言いながら、漫画本のページを暇そうに捲っている。
「あんたは今、他人から見たら別人なのよ?」
 ・・・。
「―――知ってる」
 それでも、話し方は変わらない。
 外見が変わったところで。性別が変わったところで、中身は変わりはしない。
「あんたさ、そのままでいいの?」
 それでもリティは、俺を行かせようとする。
 分かってるさ。良くない、ってことぐらい。
 俺はニートで、就職したくてもできなくて。結果、引きこもりになって、親のスネかじって辛うじて生きてる。
 そのくせ、毎日ネットだけと向かい合って、画面の向こうの人たちと罵り合って。
 その生活がいいわけが、ない。変えなきゃいけない。
 変えなきゃ、いけないんだ。わかってる、けど―――。
「―――できないんだ」
 俺は、もうリアルの人とは、話せない。
「人と、話せないんだ」
 そんな俺を、少女は睨みつけ―――。
「あんた」
 俺を指差し―――。
「馬鹿でしょ」
 ―――その一言を投げつけた。
「あんたが今、話してる『私』は何なのよ!」
 そういえばそうだ。確かに彼女は存在するんだろう。
 だから、俺はさっき殴られたし、彼女は今こうしてハンモックに寝そべっているんだ。
「魔女だって人の子、魔法が使えるか使えないか。それ以外は人と同じよ」
 そう言いながらハンモックから降りる。
「あなたは、私と普通に話せているじゃない」
 そのまま俺に向って歩いて―――目の前に立って。
「あなたならちゃんと、できる」
 優しい声で囁きながら、そのまま俺の顔に手を伸ばしてくる。
 その顔が、とても綺麗で。
「魔法をかけてあげる。―――なんでもうまくいく、魔法を」
 そう言いながら、彼女の顔が近付いて―――。
 恥ずかしくて、恥ずかしくて。顔が赤くなってるんだろうけど―――俺には何もできない。
 ドキドキ言ってるこの胸の音は、彼女に聞こえているんだろうか?それでも、リティはその顔にどこか、優しさを持っていた。
 なんというか、年下の、それもまだ幼い女の子にこんなことをされるなんて、きっと長い一生でもこの1回だけだろう。
「前を見て。自信を持って。きっとすべて、うまくいく」
 リティは俺の頬にキスをした。
 
 
 
 ―――恥ずかしすぎて、逃げるように家を出て。
 気がついたら、あのコンビニの前にいた。
 外から見てもわかるくらい、利用している人がいないコンビニ。それが、2次元少女のコンビニだ。
 だから、俺も安心して利用できるわけだけど。
「いらっしゃいませ」
 今日も同じ女店員の出迎えの声がした。
 大丈夫。落ち着け。ただチョコレートを買えばいいだけなんだ。
 それでも、心臓が高鳴って、体が熱くなるのがわかる。
 
『前を見て。自信を持って。きっとすべて、うまくいく』、か。
 まだ幼い魔女の声が、頭の中に響いた。
 そうだ。俺はチョコを買いにきた。それだけだ。
 
 バレンタインコーナーには、やはり客が誰もいないのか、あるいは誰も買わなかったのか。
 たくさんの種類のチョコレートが並んでいた。
 このコンビニ、大丈夫かな?潰れたら俺も困るんだけど・・・。
「・・・はぁ」
 そんなことを思いながら、安い板チョコを一箱全部―――それと、一番高い梱包されたチョコレートをひとつ、かごに入れた。
 無言でレジにかごを置く。
 無言の空間で、ただひとつ。チョコレートをレジに通す音だけが、コンビニに鳴り響いた。
「合計1890円になります」
 無言で折れ曲がった1000円札を2枚置く。
「2千円のお預かりです」
 そのまま店員はレジを操作する。
 彼女は気付いていない。俺が昨日来た、ダサいニートだって。
 今すぐ魔法が解けたなら、きっと彼女はびっくりすることだろう。俺が女になっているだなんて、普通は思わないはずだ。
 ・・・だから、俺は、こんなことができるんだろうな。
「これ」
 買ったばかりの梱包されたそれを、俺は彼女に差し出した。
「え?」
 きょとんとしてる。そりゃそうだ。
 今まであったこともない、それも単なる客に。いきなりチョコレートを渡されたんだから。
「その・・・えっと・・・」
 落ち着け!俺!!
 ここでヘマをするわけにはいかないぞ!!
 そりゃ、確かに俺の本当の姿はダメ人間かもしれない。
 それでも、俺は―――この人に惚れたんだ。
 それに―――。
 
『前を見て。自信を持って。きっとすべて、うまくいく』。
 前を見たい。
 自信を持ちたい。
 きっとすべてうまくいく。そう、信じたかった。
 
「その―――あげる人、いないから」
 結局、悩んだ挙句に、やっと出てきた言葉がそれだった。
 なんてボキャ貧なんだ、俺は・・・。
「あ―――ありがとうございます」
 少し、困惑した表情で、それでもその娘は笑顔で、ちゃんと受け取ってくれた。
 きっと、この少女なら―――他人を馬鹿にはしないだろうな。
 なんとなく、そんな気がする。
 
 思い出してみれば、昨日だってそうじゃないか。
「まともなものを食え」、だなんて、今まで両親ぐらいしか言ってくれなかった。
 この人は、他人を思いやることができる。
 自分以外の人のことを蔑んだりしない。
 だから―――勝手に誤解して。
「ごめんなさい―――」
 謝った。でも、やっぱり何か違う。
 こういうとき。たとえば、俺みたいな人間の屑でも、ちゃんと人として見てくれて。
 それだけじゃなくて―――心配してくれて。気にかけてくれて。
 ―――ちゃんとチョコレートを受け取ってくれて。
「―――ありがとう」
 感謝の言葉が口から漏れた。
 ありがとう。俺を心配してくれて。
 周りの目がみんな、冷たいだけじゃないって、教えてくれて。
 なんとなくだけど、俺は前に進める。そんな気がする。
 
「あ・・・あの」
 彼女の言葉よりも先に俺は店の扉を開けていた。
 帰ろう。そして、また、『俺』に戻るんだ。
 だけど、『今までの俺』じゃない。
 自信を持って、突き進む。
 きっと、今度はうまくいく。
 就職して、金を稼いで。今まで迷惑をかけてきた両親に感謝して。
 リア充なんてなれないかもしれないし、なる気もない。
 俺は、現実という壁と戦って。勝つ!!
 
 あたりはもう、陽が落ちかけていた。
 俺は走っている。
 家までのたった徒歩3分もかからない道のりを、その3分がもどかしくて気がついたら走っていた。
 十字路を突っ切る。その先のT字路を右折。そのまま5軒先まで駆け抜ける。
 左手に見えるアパートの階段を1段飛ばしで駆け上がり。俺は扉を開けた。
 
 
 
「遅かったわね」
 部屋には見慣れない大きな壷と、この数時間で見慣れてしまった魔女がいた。
「ただいま」
 少し笑ってみる。
 リティにチョコレートを渡して、壷の中を見た。
 随分とでかいけど・・・それに刺激臭がする。
「これが性転換の秘薬」
 リティが、袋に入ったチョコレートを取り出す。
「あとはこのチョコレートを凝縮して加えれば、効果が永続するわ」
 そう言いながら、またどこから取り出したのか大きな本を捲っている。
 さすが魔女だ。やることが違う。
「で、俺は何をすればいい?」
 俺にできることがあるのなら、なんでもしてやろうじゃないか。
「邪魔だから外に出てなさい」
 帰ってきたのは冷たい一言だった。
 あんなことまでした仲なのに・・・まぁ、一方的にされたんだけどね。
 
 ―――30分ぐらいだろうか。完全に陽は落ちたころだ。
 しばらく待っていると、リティが外に出てきた。
「できたわ」
 そう言って、俺を部屋に招き入れた。
 ・・・ってか、ここ、俺の部屋なんだけど。
「さ、食べなさい」
 そう言いながら、皿に乗ったハート型のチョコレート―――いや、性転換の秘薬を差し出してくる。
「食べるときにイメージしなさい。自分の理想の姿を」
「え?」と思わず聞き返していた。
「体が戻るんじゃないのか?」
「言ったでしょ」
 そう言いながら、だるそうにハンモックをたたんでいる。
 それは魔法で消さないのか。
「性転換の秘薬の解除方法はない。それを食べれば、体の内部構造の変化が戻るだけ」
 つまり、外見は変わることができるのか。まるで整形みたいだ。
 俺は、相変わらず臭い、今日の悪夢の元凶を手に取り―――『理想』の姿を思い描いた。
 そして、かじる。―――相変わらず、まずい・・・。そんでもって、凄く臭い・・・。
 だけど、男に戻るため―――『理想』の姿になるために、がむしゃらにかじった。
 視界がぼやけてくる。少しずつ、感覚が消えていくのがわかる。
「・・・と・・・・じょ・・・・か・・・・・い・」
 何かが聞こえる気がして――――――そして。
 
 俺がベッドに寝かされていることにようやく気付いたのは、2月15日の朝5時だった。
 気がついたときには、あの小さな魔女がハンモックでくつろいでいるわけもなく。部屋には俺しかいなかった。
 服は昨日のまま。さすがに着替えまではしてくれなかったらしい。
 鏡を見たら、ちゃんと男の顔になっていた。
 オーケー。『理想』通りの顔だ。
 そのまま、俺は新しい一歩を踏み出すために、あのコンビニに行くことにする。
 
 
 
「いらっしゃいませ」
 出迎えてくれたのはやはりあの2次元少女だった。
 心なしか、俺の来店で顔が明るくなったような気がした。
 
 俺を心配してくれた店員。
 彼女のことが、昨日から頭を離れない。
 それで、結局俺がイメージしたのは元の自分自身の姿だった。
 
 何も変わらない日常を繰り返すのは、確かに嫌だ。
 だけど、今まで繰り返してきた間違いを「消す」のは、それこそ間違ってる。
 なんとなく、そんな気がする。それがたとえ「魔法の力」であったとしても、だ。
 
 だから、俺は今までの自分と向き合いながら生きていく。
 今まで俺は間違った人生を歩んできた。だから、前を向く。自信を持つ。
 それで少しずつ自分を変える。正しい方向に。
 きっとすべて、うまくいく。失敗なんてもうしない。
 だから、かっこよくなる必要はないし、ダサいままでも十分なんだ。
 大事なのは、心だ。気持ちなんだ、ってことに今更、気付いた―――いや、気付かされた俺だった。
 
 無言でレジの前を通り、ペンと履歴書を持ってくる。
 無愛想な店員は、相変わらず無言でレジを打っている。
「合計315円になります」
 無言で折れ曲がった1000円札を2枚。置きかけて、1枚を財布に戻す。
 くすっ、と声がして、見ると少女が笑っていた。
「・・・癖なんです」
 と言いつつ、財布を漁り、15円を置く。
「・・・やっとしゃべってくれましたね」
 そう言いながら俺にお釣りを手渡す。
 ここで、言うべきなんだろうな。
 俺は、大きく息を吸い込んだ。
 
「―――あの!」
 声が大きかったのか、少し驚いたように俺を見た。
「その、ここで働かせてください!」
 あ、そうそう、まず履歴書を書かなきゃな・・・。
「・・・あの、履歴書は、あとで出すので」
 そう付け足すと、彼女は上品にふふふ、と笑った。
 その様子が綺麗だったから―――それと、俺が笑われているようで恥ずかしかったのとで―――自分でも顔が赤くなるのを感じた。
「面接、しましょう?」
 彼女は優しく微笑んだ。
 見とれていて、言葉の意味がちゃんと理解できなくて。
 でも、差し伸べられた手に気がつく。
 もしかして―――。
「よ、よろしく、おねがいします!」
 右手で握った俺に、やはり彼女は嬉しそうに微笑んだ。
 
 こうして、俺の現実との戦いは、再び幕を上げることになった―――。
 
 
 
 あれから俺たちはすぐに付き合うことになった。
 まぁ、このきっかけは意外にも、彼女が俺に好意を持っていたことから始まるわけで。
 
 2次元少女もとい夏木 美優(なつき みゆ)―――今じゃこのコンビニの店長で、俺の彼女でもある―――も俺と同じように引きこもりだったらしい。
 対人恐怖症を持っていた彼女の立ち直るきっかけが、意外にもやはりこのコンビニで俺の荒んだ姿を見たことらしい。
 まったく意味がわからないけれど、それでも俺のことを考えるようになって、対人恐怖症も少しづつ治まったそうだ。
 
 俺はここでまだ、バイトとして働いている。
 働き始めて、明日でちょうど1年になる。
 随分と時間が経つのは早いものだ。
 
 これも、たぶんリティのおかげなんだろう。
 すごい魔法を教えてくれた。現実に立ち向かう、強い魔法を。
 名前を言ってなかったことが、とても心残りではある。
 
 そういえばずっと気になっていることがある。
 なんでリティは、俺が男だと知っていたんだろう?
 俺は自分が男だなんて1度も口にしていないし、そもそも性転換した、なんて言った覚えはない。
 この違和感だけが、あの魔女が帰ってからずっと残っている。
 
 ―――2月。
 12月の次に、大嫌いだった季節がやってきた。
 
 理由?そんなの簡単さ。
 俺の大嫌いだったイベント、バレンタインがある。
 ただそれだけだ。これ以上の理由なんてないし、必要もない。
 
 今はどうかって?そりゃ、まぁ―――少し長い話になるぞ?
 それでも聞きたい、って言うなら・・・そうだな、板チョコでも食いながら、ゆっくり話すとしようか。
 
 ...fin.