次のページ→


「追え!」
 家が立ち並ぶ建物の間を私はひたすら走っている。もう、息も切れそうだ。
 夜だというのに、しつこく追ってくる修道服に身を包んだ男たち――魔法(まほう)警邏隊(けいらたい)の隊員たちだ――から逃げながら、ポケットの『それ』を握り締める。
 まったく、ほんとにしつこくてウンザリ。いい加減にしてほしいわ。どれだけ走らせる気よ!
 ひたすら走り続けて、少し広い場所に出る。昼は市場として賑わっている噴水公園だ。今は野良犬くらいしかいない。
 走るのにも疲れてきて、私はその場で立ち止まった。少し息を整えながら振り向くと、あいつらも結構疲れているみたいだった。城から追いかけてきたはずの人数が少なくなっている。さっき見たときは十人くらいいたのが、いまではその半分くらい。それも、私の少し手前で立ち止まっているのもいれば、膝をついているのもいる。
 ちょうどいいわ、ここで少し時間稼ぎをしようかしら。
「そんなにしつこいと、モテないわよ?」
 誰にともなく呟きつつ、そのまま足を肩幅まで開く。そして一度だけ深呼吸。
 魔力を右の人差し指に宿し、そのまま空中に四角い陣を描く――召喚用の魔方陣だ。
 深く、イメージをしながら。私は唱え始める――そう、魔法を。
「Die dunkelheit, es entstand aus dem abgrund――《深みより産まれし闇(やみ)よ》」
 前を見て。
「Horen sie meinen wunsch bitte――《我(わ)が声(こえ)に応(こた)えよ》」
 自信を持って。
「Fafnir kommen bitte! ――《来い、ハーフニル!》」
 きっとすべて、うまくいく。
「Verkorperung!! ――《具現化!!》」
 直後。大きな地鳴りと共に、魔方陣に――否。空間に裂け目が生まれる。
 のそり、と大きなワームが、ゆっくりと裂け目から這(は)い出(だ)してくる。
 その巨大な姿を、どうやって小さい裂け目から出したのか、彼がゆっくりと出てくる度に、隣のテントやら看板やらが壊れたり崩れたりしていく。けど、そんなのお構いなしだ。
 ハーフニルがその長い体をゆっくりと地面に付けると、先程の地鳴りよりも大きな唸(うな)り声をあげた。
「いたぞ……うわ、なんだこいつ!!」
 ちょうど、やつらも全員この広場に集まってきたようだ。しかしワームの巨大さに圧倒され、誰も私を見ていない。
 それにしても本当にしつこい。まるでストーカーね。モテる女って辛いわ……
「じゃ、時間稼ぎよろしくね」
 そう言いながら、体にキスをしてやる。ハーフニルは嬉(うれ)しそうに声をあげ、そのまま隊員たちに突進を仕掛けた。
 ハーフニルは今までたくさんの修羅場で活躍してくれたから、きっと今回も無事に時間を稼いでくれるでしょう。扱いの簡単な男っていいわね。性別知らないけど。
 再び私は走り出した。

 ひたすら走り続けてようやく森の入り口にまで辿(たど)り着(つ)き、そこでようやく足を止める。
 ここまでくれば、もう大丈夫でしょ。いくらあいつらが『王国(ヴェルト・ヴァイル)』の『警邏隊(リッター)』だとしても、まずここまでは来ない。
 なぜなら、ここは私の棲(す)む、『密林の墓場』。入ってもあるところで進むことができなくなる森だ。
 もっとも、私が結界を張って少しずつ惑わせているだけなのだけど。この結界があるからこそ、私は『魔女』として存在できるのだ。
 ……この結界がなければ、きっと私は、ただの『魔法使いの女の子』になれたかもしれない。
 そんな考えが、少しだけ頭に浮かんだけれど、私は首を振ってそれを消した。
 悩んでいる暇はない。『これ』を持ち帰るまでは油断できない。
 とはいっても、もう家の目の前まできたようなものだ。目的はすぐに果たせるはず。
 それに、今だって私が異界より召還したワームが闘(たたか)ってくれているはずだ。それほど強くはないけれど、魔法警邏隊ぐらいなら軽く潰せるだろう。
 ――あっけないものね。
 私はため息をつきながら、歩き出そうとした。
「嫌なものだな」
 そのとき、頭上から声が聞こえた。
 凛(りん)とした、まるで騎士のような堂々とした声だ。
 その声を聞いて、慌てて後ろに飛ぶ。
 直後、私の立っていた場所に人ひとり分ぐらいの大きさをした傘が落ちてくる。
 地面に突き刺さり。
 直後。

 ど ゴ ン ! ! !

 文字通り地面が割れる。轟音と共に。
 軋(きし)むような悲鳴をあげながら、近くの木々が倒れる。
「こほっ……こほっ……」
 砂埃が舞い、それを大きく吸い込んでしまって思わずむせた。
 なんて、傘よ。
 ――違う、槍だ。
 あまりの穂の巨大さに。それに対する柄の短さに、思わず見間違えてしまった。
「ほう。今のを避けるか」
 声の主は、槍のそばに落ちてくる。
 そのまま無表情で地面に降り立つ。
 オレンジの長い髪を後ろで縛り、鋭い眉毛はまるで頑固親父のようだ。
 月夜の光が反射している淡い緑の瞳に、まるで演劇の男優のような美形。
 ちょっとかっこいいかも……
 と一瞬思ってから、それよりも強い疑問が直後に浮かんだ。
 ――誰だ、コイツ。
「――誰だ、コイツ」
 思ったことがそのまま口に出た。
 そういえば、どこかで見たような気がする。だけど、どうしても思い出せない。どこで見たのか。
 しかし、その疑問も、彼の鎧に刻まれている刻印で解けた。
「王国騎士団……!」
「騎士団と言っても、実際には私しかいないがな」
 そういいながら、鎧の男は、槍を左手で引っこ抜く。
「嫌なものだな。安眠中に叩き起こされるというのは。私は今、とても機嫌が悪い。故に、おとなしく捕まってくれれば身の安全は確保してやる。さっさと捕まれ」
 その発言に、思わず噴出した。
 何を言い出すのよ、この男は。まったく緊張感というものがないわ。
「そんなのあなたの都合じゃない。私には関係ないわ」
「いいや、関係ある!」
 やけに力強く、私を睨みつけながら怒鳴る。
 眉を吊り上げながら、片手で槍先を私に向け。
 えっ、あのサイズの鉄塊を片手で持てるの? どんな筋肉バカよ。
「貴様が盗みを働かなければ、私は今だって夢の国にいたんだ! 王国騎士だから働けと、夜中に叩き起こされる身にもなってみろ!!」
「完全な逆恨みじゃない……」
 私のそんな呟きを聞いているのかいないのか。
「森の魔女! 貴様を王国侮辱(ぶじょく)罪(ざい)並びに、法具窃盗罪にて成敗する!」
 そう叫びながら、そのまま槍で突いてくる。
「きゃっ!」
 慌てて右に避けた。私の後ろに倒れていた木が、断末魔をあげて木っ端微塵に吹き飛ぶ。
 ――なんて威力よ! あんなのに当たったら、確実に『成敗』だけじゃ済まないわ。
 下手したら、私が木っ端微塵よ。げぇ、ちょっと想像しちゃった……
「ちっ。避けるな!」
「無茶言わないでよ!!」
 右。左。左。しゃがんで右に飛び。
 気がつけば一方的に攻撃されていた。
 ――気に入らないわ。
 でも、当たるわけにはいかない。
 右。右。ジャンプ。左。
「くっ、ちょこまかと! そこまで私に寝かせない気か!!」
 なんかもう、むちゃくちゃね……
 脱力しつつも、突きを避ける。右。左。後ろに大きく跳び。地面に足がつくと同時に、さらに後ろに大きく跳んで距離を稼ぐ。
「こっちばかり攻められる、ってのも気に、いら、ないわ、ね!」
 避ける。避ける。そして避け。
 そのまま右手に魔力を込め。空中に陣を描き。
 男がそれに気づいて走ってくるのを眺めながら。
「そんなに寝たいなら、異界でゆっくり寝てなさい!!」
 禁術を解き放つ。
 刹那、まるで大地が割れるような大きな、という地鳴りと共に、陣に亀裂が走る。
 大きな、巨大な亀裂が、槍を構え踏み込んでくる男をそのまま飲み込む。それでも広がり続け。
 そして、闇が広がる。――すべてを吸い込む大きな、大きな闇が。
「なっ!?」
 ちょっとまって、これ大きすぎ! この魔法って、こんなに広がるものだったの!?
 確かに、禁術とは書かれていたけれど、『異界に送る』、としか本に書かれてなかった。
 ただの転送魔法だと思っていたのに。
 そこはかとなく嫌な予感がして、私は後ずさる。
 が、もう遅かった。
 闇が広がり続け。城まで吸い込めそうなくらいに広がったところで。
 
 気がついたら私は闇の中にいた。
 
「えっ」
 その声すら吸い込まれる。
 何がおきたの!? うそ、なにこれ!
 頭が追いつかない。
 ただ落ちていくとも、飛んでいくとも表現できないまま、体が勝手に移動し(流れ)ていく。
 なんとかしないと!
 このままだと、帰れなくなる!!
 焦って、右手に魔力を込める。だけど、陣が描けない。
 ――違う、魔力を込めても、一瞬で吸い込まれる。
 そんなバカな! 私は『魔女』よ!?
 もう一度、魔力を込める。
 ――だめだった。
 ありえない。こんなこと……あってたまるか!
 何度も魔力を込めようとする。
 何度も陣を描こうとする。
 だけど、それでも、込めるそばからやっぱり魔力は吸い取られて。だめ。
 悔しくて。泣きそうになって。
 そこで私はようやく気づいた。

 私は、失敗したんだ。

 その事実に。
 私はただ悔しくて。
 もう、戻ることすらできそうにない。
 ここがどこだかもわからない。
 この闇の中で、私は死ぬんだ……
 私はぎゅっと目を瞑り、自分の膝を抱えた。その体勢のまま、どこかへ吸い込まれていく。平衡感覚もわからなくなるくらい、私の体が勝手に運ばれていく。
 もう、だめだ……

「前を見て。自信を持って。きっとすべて、うまくいく」

 誰かの声が聞こえた。
 そんなはずはない。
 この全てを吸い込む闇の中で、声が聞こえるわけがない。

「しっかり前を見ろ。目を閉じたら何も見えなくなる。それじゃ、魔法は使えない」

 だけど、それは聞こえた。耳元で。まるで私に語りかけるかのような。
 そう、とても、懐かしい声が。
 きっと、私は走馬灯というものを見ているのかもしれない。

「自信を持て。お前に一番足りないのは自信だ。もっと堂々としてろ」

 そうだ、私は失敗なんかしない……!
 必ず、帰るんだ……
 私は、帰る、んだ……あの、家に……
 絶、た……い……に……



 そこで私の世界は途切れた。