「それ」が部屋に落ちているのに気づいたのは、チャーハンを食い終わり、さぁ寝ようと思ったときのことだ。
俺がコンビニに行ってる間に不在表が入っていることがあるから、ポストだけはきれいにしている。
といっても、中身を玄関にぶん投げてるだけだ。捨てるのなんてめんどくさい。ポストの受け皿を開けるだけでいいから楽なんだこれ。
で、だ。「それ」は、まるで見つけられることを知っているかのように堂々と、ポストの前に落ちていた。
まぁ、普通に考えたらプレゼントと受け取るべきなんだろうけど。どこかの物好きがポストの中に突っ込んだんだろう。
ラッピングは特にされていない。長方形の、小汚い茶色い箱に入ってるだけの何か。多少、ぼろぼろになっているのはなんだろうね。ほんとにプレゼントなのかを疑うレベルだ。
箱の大きさは、大体手のひらに乗るくらいのそこまで大きくないサイズ。マウス1個が入るくらいだろうか。
これは、なんだ?
箱に耳を当ててみる。どこかの本で読んだ限りでは、爆弾だったら時計の針が進むような音がするはず。
「……まぁ、爆弾なわけないよな」
面白いくらいに無音。
念のために箱の裏も見てみるが、油のしみはなさそうだ。ところどころ、なにか土のような汚れがあるくらい。
開けてみる?
とりあえず爆発の危険はない、よな?
「一体、誰がこんなものを……」
ぼやきつつ、蓋に手を伸ばす。
残念なことに、プレゼントなんてものをくれるような人に心当たりが――いや、あの糞幼馴染を除外するといない。
あいつですら用があるとき以外(それも大抵は家賃の取立てなんだが)を除けば、全く連絡を取らない。そもそも、あいつならメモくらい残すだろう。ぱっと床を見るがそんなものはない。ということは完全に心当たりがないわけで。まぁ、開ければ意図はわかるでしょう。
ゆっくりと蓋を持ち上げ――箱を開け。
えっ、これって……
「チョコ、レート?」
きれいな飛び出たハート型。
つやがあり、独特の色とチョコレートとは思えない強烈な刺激臭――くさい。
知ってる限りで一番近いのは、チョコレート、なんだが。
この臭いは、なんというか、塗料の溶剤のような、シンナー臭がする。
本当にチョコレートなんだろうか?
いや、たしかに明日はバレンタインだけれども。
まず、前提としてポストに何かを入れていくような奥ゆかしい女の子に心当たりなんてない。
そもそも、チョコレートをくれるような知り合いなんて――あぁ、実家にいたならお袋は確かにくれるかもしれないけど、――心当たりはない。
サキ? あいつがハート型のチョコレートなんて、作れるわけがない。あいつの料理は、味重視であって、外見なんて糞食らえとでも言わんばかりの酷(ひど)さだ。ちなみに薫(かお)りも味も食欲をわかせる程度にはうまく作れるので、目さえ閉じればそれなりに美味しい料理が味わえる。あぁ。目さえ閉じれば。おおよそ食い物とは思えない何かがなぜあそこまで食欲をそそるような薫りと口いっぱいに広がる美味しさを演出できるのかは人類永遠の謎ではないかと思う。
じゃあ、このチョコレートは誰が?
こんな刺激臭のする劇物(ゲテモノ)を、どこの美少女がポストに投げ込んだと言うのだろうか?
全く心当たりはない。が、きっと、奥ゆかしい女の子が、実は俺のファンで、バレンタイン前日に出掛けたのを見かけ、そっとポストに……
「あるあ……ねーよ」
思わず自分の妄想に突っ込む。
うん、ねーよ。マジねーよ。あるわけねーよ。というかなんで美少女限定なんだよ。いや、妄想くらい好きにさせてくれ。
どちらにしろ、このチョコレートを入れた誰かは、きっと俺に食べて欲しくて作ってくれたわけで。
だったら。
「食べよう」
悩んだ挙句、選んだ結論はそれしかなかった。
小さなハートを手に取る。
手に持って初めて気付いたが、かなり重い。ずっしりとくる重さだ。
これは、本当にチョコレートか? まるで鉄アレイのような重さがあるんだが。
更に、顔に近づけば近づくほど、臭いがきつくなる。チョコレートってこんな臭いしましたっけ?
というか、臭いとかそういうレベルじゃなくて、鼻がだんだん麻痺(まひ)してきたんだけど。なんだこれ。
うわ。視界が少しずつぼやけてきた。ちょっとめまいがする。
俺は、「これ」を食べると決めたのか? これ、本当に食べて大丈夫なのか?
落ち着け。
せっかく、どこかのかわゆい女の子が作ってくれたんだ!
がんばれ、俺! 覚悟を決めろ!!
そして俺は――。
――それを、口の中に。放り込んだ。
―――。
「ん……うっ……」
頭が痛い。
見慣れない景色が、目の前に広がっている。
――いや、ここは間違いなく、俺の家で、それも玄関だ。
その証拠に、目の前にあるこの靴は、明らかに俺の靴だし、その奥には男の一人暮らし特有の汚い部屋と溜まった洗濯物が見える。
ポストの隙間から漏れる光で、今が朝だと知る。
――そうか、俺は寝ていたのか。
いや待て。なんで俺は、玄関で寝てるんだ?
「うぅ……」
まだ軽く痛む頭を抑えながらゆっくりと立ち上がり、現状を理解しようとする。
まともに頭が動かない。くそ、なんだって……
――あぁ、そうだ。俺はチョコレート? らしきものを食べたんだ。
そして、そのまま、意識を失った? いやいや、そんな馬鹿な。
常識的に考えて、ありえない。だってチョコレートだぞ?
――いや、あれがチョコレートだという保証は、どこにもないわけだけど。
あぁ、頭が痛い。まともに考えるなら、もう一回寝なおさないとダメだろう。こういう頭痛は寝れば大抵良くなる。俺は詳しいんだ。
しかし。さっきから妙に胸元が狭いな。
「え?」
待て待て。
俺は、「今、何を考えた」? 「胸元が狭い」、だと!?
それじゃあ、まるで。「胸」に、「脂肪」が、「ある」みたいじゃないか。
それは、例えば――。
おもむろに視線を下げる。
「うわぁお」
なにこのボイン。誰の? え? 俺の? え!?
いや、待て待て待て! こんなことありえない。
まず俺の頭の処理速度が付いていってない。
頭が真っ白。いや、そんなレベルじゃない。
なんだ。どうなってる。胸? はぁ。胸ぇ!?
「ちょっと」
かわいい声。いや待て。なんで俺の部屋でそんな声が? ここの住人は俺であり、俺はこんな幼い少女のようなかわいらしい声をしてはいない。
おもむろに声のした方に顔を向ける。
「誰?」
床に立っている、知らない少女と目が合った。
美少女。まず第一印象はそれだ。だけどその美しさはなんというか――怖さを兼ね備えている。
日本人とは思えないほどの肌の白さと、日本人のような凛とした顔立ち。ぱっちりとした目に細い眉毛。
だけどどの世界にもこんな人種はいない。なぜなら彼女の、俺の知る数少ない女性の中でも指折りの短い髪と、人間にはあり得ない縦に開いた瞳は、どちらも恐ろしいくらいに濁(にご)った赤色だったのだから。コスプレならその赤黒い髪も、血液のように濁った赤色の目も納得できる。だけど、コスプレでもここまでできないだろう。
マントのような膝まである長い布を背中にまとい、黒と赤のドレスのような服を着ている。
十歳くらいだろうか? 背丈が低く、せいぜい俺の胸元くらいまでしかないその少女は、だがしかし、なぜか俺の部屋で仁王立ちして、堂々と指を指してくる。
「起きるのが遅いわよ!」
いきなり怒られた。うん、なんで? ってか、誰?
えっ、どうやって入ったの? というか、なにその髪。その瞳。コスプレ?
疑問が頭に浮かんでは消えていく。
「いや、ってか、えっと」
一度にツッコミどころが多すぎて、どこからツッコんでいいのかわからない。
俺はコーラに手を伸ばし――しかしその空容器を、玄関に投げ捨てた。
そう――これはまだ、今日、二月十四日から始まる災難の序曲にしか過ぎなかったことを、この時の俺はまだ知らない。