「とにかく、あんた!」
「は、はい!」
軽く怒鳴られ、自分よりきっと年齢が下に違いない少女に思わず敬礼する。
「この部屋はなによ! まったく……」
なんで俺はどこぞの不審者――いや、不審幼女、と言うには歳を食っている気がするから不審少女か? ――に説教されているんだろうか。
そもそも、なぜ知らない少女が俺の部屋にいる? 俺の寝てる間に? こいつは、一体何者なんだ?
というか。
「うわああああああああぁぁぁぁぁ!?」
「きゃあああぁぁぁ!?」
そうだ。それ以前に、何で俺の胸が、なんかでっかくなってるんだ!?
「なんなのよいきなりっ!」
びっくりしたのか、少女に怒られたけどそれどころじゃないぞ。
あわててズボンの中を見る。
「うそぉ……」
ない。俺の黒くてふと……くはないけど、おっ……きくもないけど。
自分で言ってて虚(むな)しくなってきたな。
だけど、その理由の半分以上は、本来、『男性』にはついていて然(しか)るべきその『器官』が、ついていないからかもしれない。
いや、なんで?
「あんた、あれを食べたでしょ?」
「あれ……?」
もしかして、俺のムス――
「ハート型のあれは私が作った、性転換の秘薬」
俺の考えを呼んだかのように少女は言い放った。
よかった、あのチョコレートのことを言ってたのか。
だよね、俺もいくら自分の物とはいえ、流石にアレは食べたくない。
「なんだ、よかっ――」
いや、待て待て。よくないだろ、俺。
「今、なんて?」
「聞こえなかったの? ハート型の性転換の秘薬を、勝手に食べたわよね? と言ったのよ」
劇物級(ゲテモノ)の臭いを醸(かも)し出していた、チョコレートの成れの果てが入っていた箱の残骸を指差しながら言い放たれた。
つまり。それは。
「あの薬を使うと、男は理想の女に。女は理想の男にそれぞれ変身するわ」
どう冷静に考えても――いや、冷静になんてなれるわけがない。
「効果は死ぬまで。永遠に解けることはないわ。くすくす」
――永遠の、『性転換』。
うそぉ。
そんな、馬鹿な。
「そんな、馬鹿な」
思わず口にしていた。
だって、ありえないだろ。そんな、非現実的な、まるで何かのアニメとかゲームみたいな話。
でも確かになんか、さっきから普段よりも細くて高い声色になっている気がする。
いや、そんなまさか。え、うそだろおい。
俺の気持ちとは裏腹に、少女は楽しそうにくすくすと笑う。
「馬鹿なのはあんただけよ」
まるで蔑むような目で見下してくる。心底楽しそうに。
いや、これは、そう。きっと、何かの悪い夢に違いない。
だけど、目線を下げれば、明らかな脂肪の塊がついている。
男性の『象徴』の代わりに。
「つまり、俺は、えっと、その、女になったのか?」
「全身見たら?」
ため息をつきながらも彼女は、怪しげに「何か」を空に描き出した。
「Komm zu mir,der unterwelt spiegel」
それは、英語に似た、だけどなんとなく違う言語。
彼女の声に反応し。棚が。床が。否。部屋全体が。振動する。
描いた「それ」は、指で書いた先から、青白く発光し――
「Horen sie meinen wunsch bitte」
その言葉の意味は、全くわからない。
揺れ続ける部屋で、もはや立っていることすらままならず、その場にしゃがみ込む。
彼女はだがしかし、部屋自体が揺れているにも関わらず。それがあたかも『普通』のことであるかのように、謎の言葉を続ける。
「Offnen sich die pforten der fremden welt!」
それは、まるで『魔法』のような。
少女が、まるで『魔法少女』のような。
そんな『詠唱』――
気がつけば、少女を中心に見たこともない文字の青白い紋様(もんよう)の陣が部屋に広がっている。いわゆる魔法陣、ってやつだろう。これが少女を中心に、まるでレコードのように回転している。
俺は、そのあまりの美しさに、そのあまりの異常さに――ただ見ていることしか出来なかった。
「うお!?」
突如。地震のような、大きな地鳴りと共に、足元から大きな鏡がゆっくりと、生えてくる。
凄い。
これが『魔法』だと言われてしまったら、俺はそれを信じるしかない。
なぜなら、俺が『女』になったことも、少女がいきなり現れたことも――もはや科学だとか、手品だとか――とにかく俺の知っている知識では論理的に説明できない。
「これは、どうなってるんだ」
思わずつぶやいていた。
「『魔法』よ」
目の前の魔法少女が、簡単に言ってのける。
――そうだよな。それ以外に説明のしようがないか。
いきなり足元から出てきた鏡は、確実に今までの現実をぶち壊した。
だけど、それをなんとなく認めてしまっている自分がいた。
だって、『魔法』だぜ? そんなファンタジックなものも、まぁ、あってもいいじゃん。
いや、ある意味で、俺はもうヤケになっているのかもしれない。
たてつづけに自分の身にふりかかっている、この現実世界ではとうていありえない現象に、――ありえないと思っていた現象に。
軽く恐怖を抱きながらも、それ以上の期待を持っているのかもしれない。
「それで自分の姿を確認しなさい」
いつの間にか、ぴったり天井の高さまで伸びた鏡の裏から、少女が言った。
と同時に、揺れが収まっていることにも気付く。
床から天井までの高さをどうやって測ったんだろう。いや、それよりこれだけの質量のものをどうやって取り出したんだろう。そもそも、重心とか考えたら、前か後ろに倒れてもおかしくないよな。なんていう、今までの現実に則った、目の前で起きている超常現象に比べれば、すごくどうでもいいことを気にしながら。
おもむろに立ち上がり。
――あぁ、なんというか。
目の前のその鏡を見ただけで、今起きた超常現象(こと)すべてがどうでもよくなった。
「かわいいな」
「うわ、気持ちわるっ」
嫌悪感を示すような声が聞こえた気がするが気にしない。
だって、鏡に映るその女の子――まぁ、俺なんだけど――は、とても美しいのだ!
腰まで伸びる漆黒の黒髪。やさしげな目に、琥珀(こはく)のようなオレンジゴールドの瞳。
そして細い輪郭。魅力的な、それでいて自己主張しすぎない唇に、精密に整えられた細い眉。
胸元はこれでもか、と着ているワイシャツを引っ張っている。
身長はたぶん、「男のとき」の俺と変わらない。それらを踏まえて――
「美しい」
「おえぇ……」
鏡の裏から何か聞こえた気がしたが、とりあえず気にしないことにした。
「とにかく、あんたは女になった」
「なるほど」
少女は鏡の裏から表に周り、鏡の美少女を指さす。鏡の中の美少女は、俺の動きに合わせて頷く。
あぁ、うん。理解できないけどなんか納得した。
とにかく俺の部屋にいるこの少女は、たぶん魔法少女的なサムシングで。なぜか俺は美少女になってて。ポストに入ってたあれはチョコレートじゃなくて変な薬で――
「だああああぁぁぁ! わ、け、わ、か、らあああん!!」
叫びながら頭を抱え、その場にしゃがみ込む。
なんで俺がこんな目にあってるんだ!!
いや、性転換の秘薬とやらのせいで性別が変わったのはわかった。
だが! こいつはなんだ!? 魔法少女? はぁ!? やっぱありえねぇよ!!
夢を見てるだけだと言われた方がよっぽど納得がいく。それか幻覚だ。あのチョコレートに危ない薬かなんかが入ってて、俺はそういうののせいで幻覚を見ている。あぁ、これで全て納得行くじゃねぇか。
そう思いながら、頬をつねってみる。あぁ、うん。痛い。
どうにもこれは夢でもなければ幻覚でもなさそうだ。いや、痛みがある夢とか幻覚なのかもしれない。
それに、魔法は……まぁ、あんなもの見せられたら納得せざるおえないが。
もう全部、訊くしかない。
「なぁ、説明してくれっ! 一体全体なんなんだよ。なんで俺がこんな美少女になってるんだ! こいつは夢や幻覚じゃないのか? なぁ!」
そんな叫びに、やれやれとでも言いたげにため息をつきながら、魔女は鏡に手を当てる。
「めんどくさいわね」
俺の目の前から鏡がいきなり消えたかと思うと、少女はなぜかにやりと笑った。
「まず、私はリリィ。リリィ・シュプラーデ」
そう言いながら、まるで、言うのを少し躊躇(ためら)うかのように少し視線をあげ――再び戻す。
「魔法警邏隊(けいらたい)に所属している魔女よ」
「魔法、警邏隊……?」
「はぁ? あんた魔法警邏隊も知らないの? さすがにそれはどうかと思うわよ?」
知らない単語が出てきたので聞き返すと、まるで俺が無知であるかのような白い目線を向けてくる。が、そんなもの、聞いたことないぞ。
というか、魔法自体、さっき初めてみたんだが。いや、手品とかならまだしも。
「すまんが日本語で喋ってくれ」
「はぁ? これがそのニホンゴとやらじゃないの? あんた大丈夫?」
自称・魔女に言われたくない。
「まぁいいわ。魔法警邏隊は、市民の安全と平和を守る魔女と魔法使いで構成された組織よ」
「はぁ……?」
魔女に魔法使い、ねぇ?
「私達の仕事は、魔法に関する事件の解決、処理及び事件の未然防止のために働くことよ。国に貢献できるとても誇り高い仕事よ。覚えておきなさい」
早い話が、警察や公安の魔女バージョンか。とにかく、リリィはその機関の人間らしい。
「待て待て、魔法なんてものがあるのはとりあえず理解したが、そもそも、魔法警察だっけ? そんなものは聞いたことがないぞ?」
「魔法警邏隊よ。そもそもケイサツ、って何よ?」
おい、まて。今、なんて言った?
警察を、知らない……?
「え、お前、まさか警察も知らねーの? うわ、さすがにそれは冗談でも笑えねーよ……」
今までこの自称魔法少女(チビ)に散々、バカにされていたのもちょっと癪(しゃく)だったので、ちょっとニヤニヤしながらバカにしてみる。
「は? あんた、ここら一帯ごとまとめて地獄の劫火(ごうか)で焼き尽くすわよ?」
「すいません調子に乗りましたごめんなさい」
何か怪しげな光が指先で集まっていたのですぐさま頭を下げる。下手なプライドは身を滅ぼすのだ。
ふん、と鼻を鳴らし、腕を組みながら、脚を上げ。
「だっ!?」
くっそ、このガキ、思いっきり足踏みやがった。それも小指! やりやがったこいつ、小指はだめだろ。
「次、変なこと言ったら覚悟してなさい」
悶絶(もんぜつ)しながら、小指を押さえその場に縮(ちぢ)こまる。
本当にこいつ平和維持の団体に所属してんのかよ。暴力的すぎるだろ!
いつか覚えてろよ、糞ガキめ。
「で、その、警察ってなによ?」
「ってほんとに知らないのか? 冗談だろ?」
「死にたい?」
「警察は市民の平和と安全を守る人間で構成された組織ですはい」
慌てて答える。だが、それに魔女は首をかしげた。
「あんた、それ本気で言ってる? それって自警団のことじゃないの?」
「んー?」
どうにも会話が噛み合わない。
「そういえば、さっきから気になってたんだけど、ここってどこなの?」
「どこって、俺の家というか部屋というか……」
そういうことじゃなくて、と言いながら、リリィは視線を上に逸らした。
「ここは、王国じゃないの?」
「は?」
王国? 何いってんだこいつ。いくらなんでも、ゲームかアニメの見過ぎじゃないのか?
「ここは上目蔦(かみめちょう)。コンビニやスーパーの激戦区で」
「つまり王国じゃないのね。くそ、どこまで飛ばされたのよ……」
話している途中で割り込んだ挙句、そのまま一人でぶつぶつとつぶやきながら、テーブルの上に腰かけた。
ついでに俺もテーブルに近づいてあぐらをかく。
「リリィさん」
「呼び捨てで構わないわ」
足を組みふんぞり返るっている彼女へ声をかけると、ノータイムで返答がきた。
全く、生意気なやつだ。
「リリィ。そこは座るところじゃない。というか、よく座るスペースがあったな」
「あんたが寝てる間に、ここにあった異臭を放ってる魔道具は、異次元に放り投げたわ」
左様ですか。
なんか異次元とかファンタジックな言葉が出てきたような気がするけど気にしない。
鏡を床から生やすようなものを見てしまった以上、信じざるおえないわけだしな。
おそらくその異次元とやらでは、食べかけで放置されていたカップ麺のゴミが漂っていることだろう。
「で、あんたは誰よ」
「誰って、この家の主だが」
真顔で返す。
「そうじゃなくて、名前よ名前。私が名乗ったんだからあんたも名乗んなさいよ? まったく、礼儀がなってないわね」
あぁ、そういう意味ね。そういえば名乗ってなかったな。
言われてから気づいた。というか内心、それどころじゃなかった。だってなんかとんでもないこと立て続けに起きるんだもん。
「宮瀬 涼だ。涼と呼んでくれて構わない」
「じゃあバカって呼ぶわね」
「喧嘩売ってんのか、お前」
真顔で返すとリリィは楽しそうにひとりでさんざん笑った後、赤く光る人差し指を向けながら真顔で返してきた。
「私と喧嘩して本気で勝てると思ってる?」
「調子乗りましたごめんなさい」
予想以上に低い声にビビッて思わず土下座する。
……いや、思わず謝ったけど、今の、俺悪くなくない? いや、もういいけどさ。逆らうだけカロリーの無駄だ。
「そういえば、お前、どうやって俺の家に入ったんだ?」
玄関は閉まってた。窓はおそらく鍵がかかっているはずだ。
少なくとも、ぱっと見、今は閉まっている。
「飛ばされたのよ。ある犯罪者を追っていたら、大規模な転送魔法に巻き込まれてね。異界の門を召喚する大規模魔法だったから、封印指定の禁書にでも書かれてる魔術なのかしら。たまたまこの部屋が出口だったみたいね。私も巻き込まれただけだから、なんでここに飛ばされたのかはわからないわ」
「へぇ。どこから?」
「ヴェルト・ヴァイル」
どこかの店の名前か?
そんな疑問を浮かべながらも、ペンを白い平原に走らせる。
「あーっと……そんな店、近所にあったか?」
「は? 何寝ぼけてんのよ。ヴェルト・ヴァイルはヴァイル王国を中心にする大陸でしょ?」
常識もないの? と付け加えながら、少女は続ける。
「まぁ、わかりやすく言うと、どっかの魔女が空間にバカでかい裂け目を作ったおかげで、それに巻き込まれてここまで飛ばされてきたのよ」
「なるほど」
よくわからん。
いやまてよ? つまりアレか。
いわゆる、異世界物とか現代風ファンタジーでありがちな、「異世界から女の子が飛んできちゃいました、てへぺろ」ってやつか。
「とにかく、ここはどこよ。まるで魔術についての知識がない人間はいるし、そのくせ見たことのない魔道具も山ほどある。この紙ひとつとっても世界中で、ここまで進歩した技術は存在しない。一体、ここはどの大陸のどのあたりなの?」
「あー、ちょっと言い難いことなんだがな」
なによ、と言いながらも、魔女は前髪をくるくると指でいじる。
「ここは、君にとって異世界だ」
「……」
「……」
お互いが無言になる。
「まぁ、そんな気もしていたわ」
意外とあっさり受け入れたな、こいつ。
「だって、見たことないものばかりだもの。さっきは文字だって読めなくて困ったわ」
と言いながら、テーブルの下に投げられていた漫画本を手に持つ。
へぇ。文字が読めなかったのか。
ん? おかしくないか?
「文字が違う? 普通に言葉が通じているのにか?」
なんとなく思ったことを口にしてみる。
そういえば、よくある漫画とかの異世界物でも、言葉が普通に通じたりしてるよな。
現実じゃ他の国に住んでるというだけで、言葉が通じないこともあるのに。
「あぁ、それは」
魔女はパラパラと漫画本をめくりながら、ダルそうに答える。
「私の脳を書き換えたわ」
「はぁ!?」
どういうことだよ!?
「脳を書き換えたって、そんなことができるのか?」
「簡単よ。魔術を使えば、目の前で寝てるバカの頭から言語情報を読み出(トレース)して自分の脳に書き換えることくらい朝飯前よ」
「え、えぇぇ……」
魔術すげー。
というか、万能すぎるだろ。
「お陰様で会話と識字は問題ないわ。この絵本も読めるぐらいにね。それにしても、こちらの世界の絵本はやけに内容が大人びているのね。へぇ……」
若干、引き気味の俺にお構いなしに、ページをめくる手を止めず、リリィは眠そうにあくびをする。
「自分の領域外のことをすると疲れるのよ。全く、とんだとばっちりだわ」
「は、はぁ」
さっぱり言ってることがわからないが、まぁ、ほっておこう。
「とりあえず、現状としては、リリィは異世界からなぜかうちに飛ばされてきた。そして俺は性転換の秘薬を食べてしまった。ここまでオーケー?」
「えぇ。強いて補足するなら、あんたが勝手に使った性転換の秘薬、あれは私のものだから、何かしら対価を頂きたいのだけれど。まぁ、あんたからしてみれば知らずに性転換させられたわけで、事故みたいなものだろうし、貸しひとつ、ということで手を打ってあげるわ」
「はいはい、ありがとよ、リリィさんよ」
半ばヤケになりながら返す。こういう手合はまともに返すだけ疲れるだけだ。ソースはこの家の大家。
とりあえず話をまとめて先に進めようとする。
「で、まぁ、これからどうするか、なんだが――」
「まずはあんたの女体化を戻す」
言い終わるか終わらないかのうちにきっぱり言われる。
「いや、確かにそれはありがたいんだが……」
「あんたを元に戻したら、私は戻るわ。――戻らなきゃいけないのよ」
そう言った彼女の目は。
「私には、絶対に、やらなきゃいけないことがあるから」
ここではない、何か――遠いものを見ているようだった。